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スティーブ・ジョブズってどんな人?アップル創業者の経歴や噂
アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏がどんな人なのかを調べてみました!思っていたよりもヒドイ人で驚きました(笑)
スティーブ・ジョブズとは
アップル社の共同創業者の一人で、Apple I、Apple II、Macintosh、iPod、iPad、iPhoneを開発した超敏腕実業家です。1985年に、革新的で重要な技術の開発に多大な貢献をした発明家に贈られる、アメリカ国家技術賞も受賞しています。
その後、ジョブズの横暴な立ち振る舞いが祟り、アップル社を辞めることになってしまいましたが、新たにルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1000万ドルで買収し、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立をして成功を収めました。
1996年に再びアップル社に復帰し、マイクロソフトとの提携と支援を得ることに成功し、業績不振に陥っていたアップルを回復させました。
スティーブ・ジョブズプロフィール
名前 | スティーブン・ポール・スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Steve Jobs) |
誕生日 | 1955年2月24日 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
趣味 | ボブ・ディランとビートルズの大ファン |
家族構成 | 父、母、妹 |
<ジョブズの生い立ち>
シリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれる。ジョアンの父に結婚を反対され、養子に出された。そしてジョブズ夫妻がスティーブと養子縁組を成立させた。その後、ジョブズ夫婦がパティ―と養子縁組をし、スティーブには妹ができた。
スティーブ・ジョブズ年表
1974年 大学中退してアタリに入社し、エンジニアとして働く
1976年 スティーブ・ウォズニアックと初期のホームコンピュータ「Apple I」、「Apple II」を開発
1984年 Macintoshをリリース
1985年 アメリカ国家技術賞受賞
アップル社を退社
NeXTを設立(高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造)
1986年 ピクサー・アニメーション・スタジオを設立
1996年 NeXTをアップルに売却し、アップルに復帰
1997年 Interim CEOに就任
2000年 CEOに就任
2001年 MacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える
2006年 ディズニーがピクサーを買収し、ディズニーの個人筆頭株主になる
2011年 永眠
2012年 第54回グラミー賞で、「トラスティーズ賞」を授与される
幼い頃から興味関心がすごくあった(変わっていた)
・ヘアピンに電気が通るかということが気になり、確かめるためにコンセントにヘアピンを突っ込んで感電する
・物が燃える仕組みが気になり、藁を燃やして実験し、納屋を全焼させた
・ガチョウの卵の孵化の仕組みが気になり、自分で卵を抱えて温めていた
・授業中に花火をした
・殺虫剤の味が気になって味見した
技術者としての第一歩は不正な技術開発
1971年、高校生のときにヒューレット・パッカードの夏季インターンシップに行き、そこで後にアップルを共同設立するスティーブ・ウォズニアックと出会い意気投合。
エスクァイア誌1971年10月号に掲載されていたブルー・ボックスに関する記事を読み、無料で長距離電話をかける技術に興味を持つ(不正行為として紹介されていた記事)。そして、スタンフォード大学の図書館に侵入してこの技術資料を読み漁り、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。2人はこれを使ってタダでイタズラ電話をかけまくった(もちろん不正行為)。
その後、このブルーボックスをカリフォルニア大学バークレー校の寮で1台100ドルから150ドルで売りさばき、大儲けした(絶対不正行為)。しかし、これを機に銃で脅される事件が起き、販売は辞めたそう。
高校・大学時代は日常的にドラッグをやっていた
1972年のまだ高校生のとき、ジョブズはLSDやマリファナをやってラリッていたそう。
LSDをやったときに、麦畑がバッハの曲を奏でるという幻覚体験をして、その体験を素晴らしいと感じたらしい(笑)ジョブズは、「LSDの摂取は、人生で行ったことの中で最も重要な経験のひとつだ。私はドラッグなしでは成功できなかっただろう」と言っていたそうです。
大学時代は様々な文化を学んだ後に中退
大学生の時には、ユダヤ・キリスト教・イスラム教・アニミズム・太陽神・思想・坐禅・食事・ヒッピー文化などを学んでいた。そこから影響を受け、大学の構内を裸足で歩いたり、お風呂に入らない時期もあった。
大学を辞めてアタリ社で働き始めてからもこの行動は続き、ジョブズは「不潔」という理由で夜勤にさせられていたそう。野菜しか食べなければ体臭が発生しないので、お風呂は必要ない。と本気で信じていたらしい。
アタリ社から受け取ったボーナスを独り占め
ジョブズがアタリ社で働いているときに、スティーブ・ウォズニアックに手伝ってもらってゲームハードを開発。その開発実績が認められ、アタリ社からボーナスが支給される事になったが、ジョブズはそのボーナスをスティーブ・ウォズニアックに渡すことなく独り占めした。スティーブ・ウォズニアックはボーナスの具体的な金額を最後まで一切教えてもらえなかったそう。
Apple Ⅰを開発し、アップル社を設立する
Apple Ⅰを開発したものの、なかなか理解してくれる企業がなく、スティーブ・ウォズニアックとともに2人で資金を集めて売り出すことを決意した。社名をどうするか考えている時に、ジョブズが「アップル」はどうかと提案してきたことにより、アップルという名前の会社になったそう。そして、1976年6月にApple Iを666.66ドルで販売開始された。
そこからスティーブ・ジョブズが偉大な実業家として成功を収めていく。
スティーブ・ジョブズの信じられないエピソード<仕事編>
アップルを創業し、経営者として成功を収めたスティーブ・ジョブズですが、なかなかクレイジーなエピソードがたくさんありました。ご紹介していきます。
①社員たちに「週90時間働け」と書かれた手作りTシャツを着させる
「週90時間働け」という文字を入れたTシャツを作り、社員たちに着させた。週6日働いても1日15時間…笑
②採用面接でセクハラしまくる
ジョブズは「ねぇねぇ、君は何歳の時に初めてセ○○○したの?」と質問したり、「ねぇねぇ、もしかして童○?○貞なの?」と聞いたりした。面接に来た応募者は、私はこの会社は向いていないと思うと言い帰っていった人もいたそうです。
③社員をクビにしまくる
・たまたま乗り合わせたエレベーターで、偶然一緒になった社員に対し、「君は、Appleのために何をしている?」と問いかけ、すぐに答えられなかったことに対して憤慨し、クビにした。
・社員食堂で突然社員に話かけ、すぐに答えられなかった社員に対して「おまえは自分がどんな仕事をしているのか説明もできないのか?そんな人間と同じ空気を吸いたくないな」 と言い、クビにした。
・秘書がいつもと違うブランドのミネラルウォーターを持ってきたのでクビにした。
・社員のiPhoneを取り上げ、iPhoneがパスワードで保護されていなかったらという理由でクビにした。
こういうことが多々あり、ジョブズと目を合わせないようにする社員が増えたそうです(笑)
④口が悪すぎる
仕事でミスをすると、「フ○ック!このタ○なしのケ○穴野郎め!」などと怒鳴り散らされる。
関連会社のVLSI Technologyが、生産キャパオーバーでAppleに納期通りチップを納品できなかったとき、ジョブズは大声で「f*cking d*ckless assholes(ファッキンでタマなしのケツの穴達め)!」と叫んだ。その後、VLSIの幹部達は、ジョブズから言われた言葉の頭文字をとって「Team FDA」とプリントしたジャケットを着たらしい。
これ以外にも、要求する水準を満たさない人間に対しては罵声を浴びせ続けるなど、何人もの社員を退職に追い込んみました。これらのことから、ジョブズは米国で最も嫌な上司リストに載ることもあったそうです。
⑤人のアイディアを平気で盗む
人のアイディアを平気で盗むということでも有名だったようで、iPodを発案したのも実は社員の一人だったそうです。
しかも、ジョブズのよくないところは、社員のアイディアをめちゃくちゃ罵倒したにも関わらず、次のプレゼンであたかも自分が考えたかのように発表することが多々あったそうです。手段を選ばない感じがしますね(笑)
⑥iPod試作機を水槽へぶち込む
これは結構有名な話ですが、技術者達が完成したiPodの試作機をジョブズに見せたところ、何を思ったかジョブズはその試作機を水槽の中に入れてしまいました。
ジョブズはiPodの小型化を目指していたため、水槽の中の試作機から出ている空気を指さし、「この酸素の分もっと薄くしろ」と言い放ちました。技術者たちは地獄に落とされた気分だったそう。。
⑦iMacという名前になったのは気まぐれ
今でこそiMacという名前になっていますが、名前をつける際には「iMac」と「マックマン」という2つの候補がありました。
広告担当の社員たちは「iMac」推し、ジョブズは「マックマン」推しで、社員たちが説得してもジョブズは「マックマン」が良いと一貫して言っていたそう。社員たちは諦めかけ、これが最後と「やっぱりiMacはどうか?」と問いかけると、ジョブズは「iMac」という文字を見ながら、「よし、今週はそんなに嫌いじゃない」と言った。で、iMacになった。すごい。。。
スティーブ・ジョブズの信じられないエピソード<プライベート編>
上には仕事上の信じられないエピソードを書いてみましたが、ここからはプライベートでの信じられないエピソードを書いてみます。ジョブズって結構クズ感の強い人なんですね。知らなかった…(笑)
①車は身障者用の駐車スペースに停める
特に身体に障害があったわけではないと思いますが、車は結構な頻度で身障者用の駐車スペースに停めていたそう。
また、車にナンバーをつけることを好まず、半年ごとに新車を買い換えて、ナンバープレートを付けない生活を送っていたそう。カリフォルニア州では、新車は半年以内にナンバープレートを付ければ良いらしく、ナンバープレートをつけないために新車を買い続けた。
②子供を認知せず、彼女と子供は生活保護を受けていた
現在は子供を認知していますが、長年認知せずにいました。
高校の時から交際していたクリスアン・ブレナンという彼女に子供ができたのですが、ジョブズはスキャンダルを避けるためなのか分かりませんが、子供を認知することなく、お金も一切払おうとしませんでした。そしてクリスアン・ブレナンはジョブズに対して裁判を起こしましたが、法廷でジョブズは、クリスアンが誰とでも寝る女だと証言し、子供が他人の子である妥当性を証明しようとしたそうです。
その後9年間はクリスアンとその子は生活保護を受けながら生活し、ようやく認知されたそう。
③ガンが見つかり、民間療法で治そうとして亡くなった
ジョブズはすい臓がんで亡くなりましたが、すぐに手術をすれば治るような状態だったそうです。ですが、ジョブズは手術や抗がん剤治療などの化学療法はやりたくないといい、ヨガとか針治療で治そうとしたそう。そしてガンが進行し、手遅れになってしまった。ジョブズも後々手術を受ければよかったと言っていたそう。
④好みの看護師を決めていた
ガンの治療が手遅れになってしまい、残りの人生を病院で過ごしている際、ジョブズは好みの看護師を見つけるために67人の看護師さんに目を通した。
⑤酸素マスクのデザインが気に入らなくて拒否した
医師がジョブズに酸素マスクを着けようとしたとき、ジョブズはマスクを着けることを嫌がった。嫌がった理由は、酸素マスクのデザインが気に入らなかったからだそう。殆ど喋れない位の状況であったものの、ジョブズは用意された5つの酸素マスクの中から気に入ったものを選んだ。
また、指に着けた血中酸素モニターを見ながら、「形が悪いしおまけに複雑だ」とも言ったらしい。
スティーブ・ジョブズのことあんまり知らなかったけど、結構変わった人でした(笑)