目次
【番外編:失敗プロジェクト】世界初の超音速旅客機ツポレフ144飛行
今回は番外編、莫大なお金がかけられたにも関わらず、失敗してしまったプロジェクトをご紹介します。
あらすじ
1960年代、世界各国で莫大なお金を使って超音速旅客機の開発がすすめられた。世界で初めて超音速旅客機の飛行を成功させたのはソ連のツポレフ144であったが、度重なる事故や故障で102回しか飛行することなくお蔵入りした。
現在は超音速旅客機の商業飛行は行われておらず、いつの間にか開発も終わっていた。開発には2500万ルーブルが使われたといい、当時のレートが不明ですが、とんでもなく莫大なお金だったとのこと。
超音速旅客機とは
音速を超えるスピードで飛行する旅客機ということですね。環境汚染や安全面などから現在商業飛行を行っている超音速旅客機は存在しません。
1960年代、世界各国で超音速旅客機の開発競争が繰り広げられた
1960年代、世界各地で国の威信をかけた超音速旅客機の開発競争が繰り広げられました。どこよりも速く、高く、長く飛ぶという目標を掲げ、各国のエンジニアたちは研究を重ねました。超音速で世界を飛び回れる旅客機があれば確実に次世代の航空機業界を担う存在になるということで、世界的に注目されるプロジェクトとなりました。
利便性もそうですが、実際には自分達が持っている技術力、開発力を世界に知らしめるために開発されたというイメージのほうが正しかったようですが。
ソ連の超音速旅客機「ツポレフ144」が世界初飛行に成功
そして熾烈な開発競争の末、ソ連のツポレフ設計局で設計・開発された超音速旅客機ツポレフ144が1968年12月に世界初飛行に成功しました。しかし、ツポレフ144が、イギリスとフランスが開発中だった「コンコルド」に酷似していたため、スパイによる盗用だという噂が流れました。が、初飛行を成功させたソ連としては特にそんなことは気にしなかったようです。
ツポレフ144が量産されたがテスト回数に不安があった
世界で初めて飛行に成功したツポレフ144は、徹底的なテストがされることなく量産され、合計16機が4億ルーブルもの大金をかけて作られました。徹底的なテストがされなかったことが原因で、ツポレフ144は度重なる故障や、事故も起こしてしまいました。ツポレフ144が飛行したのはわずか102回で、旅客便として利用されたのはたったの55回でした。
度重なる故障と燃費の問題から飛行が取りやめられ、お蔵入り
度重なる事故や故障によって、ツポレフ144の海外への輸出はできませんでした。また、超音速で飛行するとなるとエンジンの燃費が非常に悪く、燃料の補給が大量に必要となり、使い勝手が悪かったと言われています。ということで、総開発費2500万ルーブルという膨大な資金を使って開発されたにも関わらず、国内限定の郵便輸送機としての就航のみとなりました。
その後、しばらくしてTu-144の運行は全て停止となり、ツポレフの工場でしばらくの間眠っていました。そして、超音速旅客機で完全に失敗したアメリカに1995(平成7)年に研究材料として買い取られ、NASAで超音速飛行研究のテストベッドとして1996(平成8)年から1997(平成9)年まで使用されていたようです。
大金を使ったわりには利用されなかった
度重なる事故や故障によって、ツポレフ144はすぐにお蔵入りしてしまいました。現在も商業目的で利用されている超音速旅客機がなく、超莫大な資金を使った失敗プロジェクトと言われています。25万人分の給料が失われたという話もありました。
残念なプロジェクトではありますが、技術は次の航空機にきっと活かされていると思います!